「質問力」を発見する2

「質問力」を発見する2

“自覚できないほどの微細で複雑な記憶の群れが、
今この瞬間も刻々と進む思考を支えている”

・・引き続き「質問力」について考えてみます。

生きた土壌を手に入れる

想像力が生まれる場所

思考が「生きた」状態を保っためには、
一見何の役に立つのかわからないようなイマジネーションの断片が
自由に動き回っていたほうがいい。

 

冬の虫たちのように、記憶の奥底で出番を待つ
雑多な知識や断片的なイメージの群れもあるだろう。

 

自ら問うカは、たくさんの思考や記憶のかけらの
複雑なつながり合いの中から芽吹いてくる。

 

 

目先の目的に気を取られていると、そうした内側の
豊かな世界を忘れて、単線的で合理的な恩考が優先されてしまう。

 

土を生かすことよりも、即効性のある肥料ばかりが欲しくなり、
「そのうちに芽吹く可能性」を自ら摘んでしまう。

 

「すぐに役に立つもの」が
「すぐに役に立たなくなる」という現象は、これによる。

 

役に立たないだけならいいが、悪くすれば
考える土壌の力そのものを奪ってしまうのだ。

 

 

問う力を育む「生きた土壊」を手に入れて、
その力を保つには、何から手を付ければいいだろう。

 

日頃意識しない領域であるだけに難しいが、まずは
「私」という強固な枠組みをゆるませる必要がある。

 

 

というのも、考える主体としての「私」は、常に
何かの目的にさらされていて、無駄を省きたがる。

 

「私」の想像力の幅を狭めているのは、
他でもない「私」であることが多い。

 

 

ふと湧いた好奇心やちょっとした違和感、
取るに足らない好みや妙にひっかかる記憶など、

 

合理性のもとでは捨てられてしまいかねない
雑多な思考のかけらを伸び伸びとさせてやることが、
想像力の土壌には大事なのだ。

『問いの編集力 - 思考の「はじまり」を探究する』
安藤昭子/著(24~25ページ)より

 

 

 

想像力の土壌

「考える土壌」と「想像力の土壌」という言葉。
共通するのは「土壌」です。

 

つまり

 

「考え」と「想像」の土台になるものを
著者は ”土” に見立てているわけですね。

 

 

微生物いっぱいの土(=土壌)と同じように..

 

私たちの頭の中にも、これまで見たり、聞いたり、
感じたりしたことが、たくさんたくさん詰まっています。

 

そう。 それはまるで 微生物 のよう..

 

 

そんな1つひとつの ”小さな記憶” がつながっていく瞬間に
新しい発見があったり、今まで見えなかったものが見えてくる‥

 

これが「想像力の土壌」なのだと
安藤さんはおっしゃっているのでしょう。

 

 

記憶の中の出来事が、自由自在に結びついて働く時に
私たちの中で、まったく新しい「疑問の芽」が生まれてくるのです。

 

まさに、アタマの中の ”新しい生態系” の誕生です。

 

 

この時に、

 

様々なものを結びつける想像力の邪魔をしてしまうのが、
実は、「私」という意識の存在。

 

My way LABO でいう「思い込み」になります。

 

「私」という除草剤

 

せっかく新しいものが生まれようとするときに
その「受精」と「成長」を邪魔するのが「私」という意識です。

 

「え?どーゆーこと?」

 

って感じですよね。

 

 

表現を変えてみましょう。

 

My way LABO では「Me言語」という表現を使いますが、
この「Me言語」を最近流行りの言葉に置き換えると‥

 

今だけ、金だけ、自分だけ

 

なんて言い換えても.. そんなに悪くないと思います。

 

 

”関係ないもの同士” を結びつけようとするときに

 

「いや、そうじゃない!これはこうだ!」

 

みたいな。

 

 

物ごとの意味を ”決めつける” 気持ち・・といえばわかりやすいでしょうか?

 

 

心の中で起きる、この断定的な ”決めつけ” が働く時に

 

過去の記憶にある「事実」を絶対化してしまい
その「事実」以外を拒否することになるわけです。

 

それはまるで除草剤のように、せっかく芽吹き始めた新芽を
根こそぎ刈り取って、あわてて ”過去の自分” に引き戻そうとします。

 

 

異質なものが見つかった途端、
根こそぎ枯らしてしまうわけですね。

 

そうすれば、昔からずっとある「事実」だけを
大事にしていれば良いのですから‥。

 

もう、悩むことはない‥

 

と考えてしまうかもしれません。

 

 

でも、そうすると

 

新しい気づきのチャンスもなく、新鮮な発見もなくなって..
自分自身をアップデートする機会は失われます。

 

 

こうして ”拒絶” が当たり前になった人は、たいてい
孤独感から抜け出すことが難しくなっていき

 

ますます ”異質なもの” との出会いを拒否し、ついには、
自分の世界観・価値観が壊れるのを恐れるようになるのです。

 

 

だからこそ

 

他人とのコミュニケーションにおいても「Me言語」ではなく
相手側の視点に立った「You言語」が大切なんだ‥

 

と、ラボでは お話しているわけですね。

 

すべては繋がっている

よく考えてみてほしいのは、

 

この世に存在するものって

 

何ひとつとして、ポツンと、ただそれだけの
「単独」で存在しているわけではありません。

 

「私」という存在だってそうです。

 

たとえ

 

どんなに人と付き合うことがない人であっても

 

「私」という存在そのものが、「父と母」・・まったく違う生き方をしていた
ふたりが出会ってくれたおかげで、今ここに存在しているわけですから。

 

 

だからこそ、「私」「私の扉」を開くためには
自分とは異なるもの、いろいろな価値観、色とりどり様々な‥

 

”異質なもの” に対して、愛情を込めた目で
興味・関心を持つ必要があるわけです。

 

 

過去の経験からは、まったく理解できない存在に出会う時・・

 

「あれ?これってどういうこと?」

 

と思ったら‥

 

まずは 愛情を込めて、言葉をかけてあげることをオススメします。

 

 

「あなたは、何?」

 

「それはなぜなの?」

 

という問いかけ。

 

 

そういった心の向けどころ(=「私」の在り方)こそ・・

 

「質問力」の発見につながる種子(タネ)なのかも?

 

と考えてみてはいかがでしょう。

 

 

デイリー音声「Day165-1084」連動記事: