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「 内省 」の検索結果
  • 「質問力」を発見する
    “悩み” はあるけど “疑問” がない?「内省って、必要ですか?」そんな質問が出たときには正直、どう答えればよいか‥ ちょっと戸惑いました。なぜなら内省しない人が 成長することはありませんから。どうやら、現代人は ”他人” に興味や関心を持っても自分について深く考える人は それほど多くないみたいで‥それで「セルフコミュニケーション」(つまり、内省)を難しく感じているようなのです。そう考えてみると「自分がキライ」「私を好きになれたらいいのに」という、最近よく聞くようになった言葉の意味がなるほど、よくわかります。本当は My way LABO でお伝えしているように“質問力” って セルフトークから始めるのが基本なのですが‥その辺の解説が、とてもムツカシイ。一人ひとりの環境も、経験も、違うから.. ですね。なので...「私」から自由になる内面の準備コチラでご紹介していた安藤昭子さんの本から文章をお借りして、“質問力” を探ってみたいと思います。まずは、安藤さんの文章から‥想像力の土壌子どもの頃、庭に春が来るといつも服が泥だらけになった。陽を集めて少し温かくなった地面に寝そべっては、久しぶりに再会する虫たちをじろじろと眺めていたからだ。この時期を「啓蟄(けいちつ)」と呼ぶことを大人になってから知って、日本語の季節を捉える微細なセンサ—に感激したものだ。「啓」は「ひらく」という意味で、「蟄」は虫が土に隠れている様を指す。二月のはじめ、冬籠りの虫たちが地中から這い出る頃を告げる二十四節気のひとつで、春の訪れを表す季語でもある。高浜虚子に「啓蟹の蟻が早引く地虫かな」という句があるが、温んだ土から顔を出した虫たちの互いに驚き合う忙しない様子は、頰杖をついて眺めていたあのミクロ世界そのままだ。カレンダーにこの文字をみるたびに、泥だらけの服と土の匂いを思い出す。一握りの土には、何億・何兆もの微生物が棲んでいるという。豊かな芽吹きをもたらす土壌を支えているのは、この日には見えない無数の小さな生き物たちらしい。子どもの頃に見たものを振り返りながら安藤さんは「目に見えるもの」の先にある小さな、ミクロの世界「目に見えない世界」を妄想しています。自分の目で “見る” という個人の経験だけでは一生、気づかなかったかも知れない世界を後に学んだことを手がかりにして、思い返しているのです。「二十四節気」を知ったことで土の温もりの変化を想像できた。すると今まで見えなかった「微生物」たちが土の中に満ち満ちていることも想像できる‥。みたいな感じで、純粋な体験・経験と、後づけの知識が重なり合いながら子どもの頃 “見たもの” が、次の「新たな気づき」に発展する様子を語っています。子どもの頃の ”ささやかな経験” が、のちの「学び」によって ”大人の好奇心” に進化した わけですね。土の文明史安藤さんは続けて語ります。アメリカの地質学者ディビッド・モントゴメリー (1961~)は、無節操な化学肥料の導入がいかに土の本来の力を殺し、それが土地全体にどういった副作用をもたらすかということについて、文明論の観点から警鐘を鳴らす。目先の生産量を追うあまりに、土が自ら植物を育てる力を根こそぎ奪ってしまうというのだ。ひいてはそれが、人間の生活環境をも脅かし、さまざまな土地で致命的な文明の危機をもたらしてきたという。多様な微生物と根気よく共生することが、土壌を肥えさせ、実りをもたらし、回り回って人間の生活環境を豊かにしていくのだと、モントゴメリーは言う。ミミズや細菌などの微生物が、ザワザワと土を撹拌(かくはん)し有機物を分解して「生きた土」を保つ。植物がよく育つ土の中は、動物・植物あわせた生き物たちの、とても複雑な持ちつ持たれつの関係が成立しているのだ。人間の想像力もこれに似ている。自分自身が体験し、思いを巡らせてみた微生物の世界へ。さらに、もっと深く研究したモンゴメリーさんの言葉を引用しながら安藤さんは、たくさんの生き物が暮らす “土壌(どじょう)” を私たちの「頭の中」のようだと感じたのです。たとえば、それはこんなふう・・どこにでもある「フツーの土」。だけど、よくよく調べてみると、たくさんの生き物に満ちているらしい‥その生き物たちは、目に見えないほど小さくてだけど、お互いが複雑に からみ合いながら生きている‥ああ、どこか “人間の想像力” と似ているなあ‥だっていろんな「経験」や「情報」が、私の頭の中にはいっぱい詰まっているけど、ふだんはそんなこと思ってない‥注意して、意識ながら観察しなければ気づくことさえない ”小さな生命” ‥私の中にある無数の「経験」や「気持ち」と土の中で暮らす、たくさんの「生命」たち‥どこか似ているような気がする‥そう、そうなんだよね‥たぶん、そんな自覚できないほどの微細で複雑な記憶の群れが、今この瞬間も刻々と進む思考を支えているのだ。と、安藤さんはイメージするわけです。つづく引用書籍:『問いの編集力 - 思考の「はじまり」を探究する』 安藤昭子/著(22~23ページ)よりデイリー音声「Day164-1083」連動記事:
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  • 「質問力」を発見する2
    生きた土壌を手に入れる想像力が生まれる場所思考が「生きた」状態を保っためには、一見何の役に立つのかわからないようなイマジネーションの断片が自由に動き回っていたほうがいい。冬の虫たちのように、記憶の奥底で出番を待つ雑多な知識や断片的なイメージの群れもあるだろう。自ら問うカは、たくさんの思考や記憶のかけらの複雑なつながり合いの中から芽吹いてくる。目先の目的に気を取られていると、そうした内側の豊かな世界を忘れて、単線的で合理的な恩考が優先されてしまう。土を生かすことよりも、即効性のある肥料ばかりが欲しくなり、「そのうちに芽吹く可能性」を自ら摘んでしまう。「すぐに役に立つもの」が「すぐに役に立たなくなる」という現象は、これによる。役に立たないだけならいいが、悪くすれば考える土壌の力そのものを奪ってしまうのだ。問う力を育む「生きた土壊」を手に入れて、その力を保つには、何から手を付ければいいだろう。日頃意識しない領域であるだけに難しいが、まずは「私」という強固な枠組みをゆるませる必要がある。というのも、考える主体としての「私」は、常に何かの目的にさらされていて、無駄を省きたがる。「私」の想像力の幅を狭めているのは、他でもない「私」であることが多い。ふと湧いた好奇心やちょっとした違和感、取るに足らない好みや妙にひっかかる記憶など、合理性のもとでは捨てられてしまいかねない雑多な思考のかけらを伸び伸びとさせてやることが、想像力の土壌には大事なのだ。『問いの編集力 - 思考の「はじまり」を探究する』安藤昭子/著(24~25ページ)より想像力の土壌「考える土壌」と「想像力の土壌」という言葉。共通するのは「土壌」です。つまり「考え」と「想像」の土台になるものを著者は ”土” に見立てているわけですね。微生物いっぱいの土(=土壌)と同じように..私たちの頭の中にも、これまで見たり、聞いたり、感じたりしたことが、たくさんたくさん詰まっています。そう。 それはまるで 微生物 のよう..そんな1つひとつの ”小さな記憶” がつながっていく瞬間に新しい発見があったり、今まで見えなかったものが見えてくる‥これが「想像力の土壌」なのだと安藤さんはおっしゃっているのでしょう。記憶の中の出来事が、自由自在に結びついて働く時に私たちの中で、まったく新しい「疑問の芽」が生まれてくるのです。まさに、アタマの中の ”新しい生態系” の誕生です。この時に、様々なものを結びつける想像力の邪魔をしてしまうのが、実は、「私」という意識の存在。My way LABO でいう「思い込み」になります。「私」という除草剤せっかく新しいものが生まれようとするときにその「受精」と「成長」を邪魔するのが「私」という意識です。「え?どーゆーこと?」って感じですよね。表現を変えてみましょう。My way LABO では「Me言語」という表現を使いますが、この「Me言語」を最近流行りの言葉に置き換えると‥今だけ、金だけ、自分だけなんて言い換えても.. そんなに悪くないと思います。”関係ないもの同士” を結びつけようとするときに「いや、そうじゃない!これはこうだ!」みたいな。物ごとの意味を ”決めつける” 気持ち・・といえばわかりやすいでしょうか?心の中で起きる、この断定的な ”決めつけ” が働く時に過去の記憶にある「事実」を絶対化してしまいその「事実」以外を拒否することになるわけです。それはまるで除草剤のように、せっかく芽吹き始めた新芽を根こそぎ刈り取って、あわてて ”過去の自分” に引き戻そうとします。異質なものが見つかった途端、根こそぎ枯らしてしまうわけですね。そうすれば、昔からずっとある「事実」だけを大事にしていれば良いのですから‥。もう、悩むことはない‥と考えてしまうかもしれません。でも、そうすると新しい気づきのチャンスもなく、新鮮な発見もなくなって..自分自身をアップデートする機会は失われます。こうして ”拒絶” が当たり前になった人は、たいてい孤独感から抜け出すことが難しくなっていきますます ”異質なもの” との出会いを拒否し、ついには、自分の世界観・価値観が壊れるのを恐れるようになるのです。だからこそ他人とのコミュニケーションにおいても「Me言語」ではなく相手側の視点に立った「You言語」が大切なんだ‥と、ラボでは お話しているわけですね。すべては繋がっているよく考えてみてほしいのは、この世に存在するものって何ひとつとして、ポツンと、ただそれだけの「単独」で存在しているわけではありません。「私」という存在だってそうです。たとえどんなに人と付き合うことがない人であっても「私」という存在そのものが、「父と母」・・まったく違う生き方をしていたふたりが出会ってくれたおかげで、今ここに存在しているわけですから。だからこそ、「私」が「私の扉」を開くためには自分とは異なるもの、いろいろな価値観、色とりどり様々な‥”異質なもの” に対して、愛情を込めた目で興味・関心を持つ必要があるわけです。過去の経験からは、まったく理解できない存在に出会う時・・「あれ?これってどういうこと?」と思ったら‥まずは 愛情を込めて、言葉をかけてあげることをオススメします。「あなたは、何?」「それはなぜなの?」という問いかけ。そういった心の向けどころ(=「私」の在り方)こそ・・「質問力」の発見につながる種子(タネ)なのかも?と考えてみてはいかがでしょう。デイリー音声「Day165-1084」連動記事:
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